九ちゃん?!
2012年 06月 30日
話は変わりますが、市役所3階は、市議会のフロアで、その中の1部屋が共産党和歌山市議団の控え室になっています。部屋の壁は本棚で覆われていますが、その本棚の上に、1枚の写真が飾ってあります。私、ひめだが、つるた至弘県議の跡継ぎとして初めて市会議員になった1991年に控え室に眠っていた写真を発見して飾ったものです。先日、議会事務局の若い職員の方が、この写真を見て『坂本九さんですか?』と聞かれたときには、思わずズルっとイスから滑り落ちそうになりました。先日、初めて控え室にお越しになった年配の男性はこの写真を見て『奥 一正さんですね』と言ってくれました。奥 一正さんは住金に勤めながら市議会に立候補し、当選しました。仕事をしながら、議員を務めたものの任期途中で病気でお亡くなりになりました。私が初めて議員に立候補するときに、それまで住んでいた和歌川の運輸省第3港湾建設局の宿舎から、塩屋にあった奥一正さんの住まい(奥さんのご家族は当時は園部にお住まいを移していました)の空き家になっていたお宅を奥さんの奥様からお借りしたのです。ご近所の方は、奥 一正さんが初めて議員に当選したときには、あらゆることを相談しに行ったということで、そのことを悔い、私が当選したときに、ご近所の方々は「あんまり無理して働くな」と言ってくれました。初当選からいままで、奥様にはたいへんお世話になりましたが、先日ご病気でお亡くなりになりました。そういうわけで、私は直接的には、つるた至弘さんの市議会の議席を引き継いだということですが、塩屋を地元とするそのルーツは奥一正さんにあるわけです。一時は、市議会の全会派に住金出身の方がいたときもありましたが、今では、渡辺忠広議員と他会派に1人いるだけになりました。(ひめだ高宏)