戦跡調査-串本
2013年 10月 24日
晴れ上がったある日、串本へ戦跡を訪ねて平和委員会のメンバーと行ってきました。
串本は太平洋戦争の前から、軍の施設が多くあったところです。主なものは本州最南端の地の利を生かしたのか通信施設で、その機材を置くためにたくさんの地下壕が掘られました。また、弾薬庫だったコンクリート造りの建物は、その上(屋上)には草を生やすようにして、上から見ても建物があるとはわかりにくいような工作が行われていました。(現在では、航空写真で見みると、きっちり四角く緑の色が周辺と違っていて、とても不自然でなにかあるとすぐにわかります。)
記録に基づいて何か所かを尋ねたのですが、まったく跡形もなく標柱だけがたっている、場所は間違いないと思われるけどうっそうとしたやぶになっている、さらには山の中にぽっかりと穴があいているだけ、コンクリートの建造物はあるが民家の庭のような場所、など状態はさまざまです。串本町はそういう戦跡に、「標柱」を立て、誰もがわかるように残しています。
戦争を語る人が少なくなるなかで、和歌山市でも戦争のあとを現地に記録しておくといった取り組みが必要だと話しながら帰ってきました。
(写真の標柱と、コンクリートの建造物‐地下壕の入り口と空気孔‐は別のものです。)